外から見えなくてもゴミ屋敷はきっとそこら中にある
部屋は心の鏡なんだろうと思う。
部屋が片付かないのは片づけない人が悪いんじゃない。
実際にずーっと片付けができない子と言われてきたし自覚があった。
片づけろと言われてもそもそも汚れていると思わない。
でも初めて一人暮らしをしたとき人生で初めて部屋を綺麗にして過ごしたこともある。
要は自分の城じゃなければ、己を守る場所でなければ保てなかったんだ私は。
元々片付けができる人は理解できないだろうけど。
そして、わたしが一週間まえまで過ごした部屋も最初こそ私の立派な城であったのは間違いなかった。
入って早々不穏なことばかりだったのは確かだったけど、それでも自分なりに手入れをして綺麗に直して入るのも躊躇うトイレも居心地よくかえた。
けど一か月たつ頃には騒音に悩み眠れず、帰るたびに虫に悩まされる日々に心労が募るばかりになってついには「ここで過ごすよりホームレス風俗嬢に戻ったほうがマシだ」とまで考えさせた。
私は二年前もう二度とあの生活には戻らない。そう誓った。
「普通に働いて、生活をおくる、高望みもせず慎ましく、静かに過ごせれば他に何もいらない。」
私の願いはそれだけだった。
最初に仕事をもらった時、交代制の4勤2休、残業強制で10時間労働
だけど私は不満一つもらさずむしろ楽し気に毎日過ごしてた。ここが一番クソみたいな人が多くてイラつくこともあったけど私にとっては取るに足らない事だった。
これから数年ゆっくり貯金して年末だけは相方に豪華なプレゼントと自分にご褒美をあげよう。なんて浮かれてた矢先に派遣切りになった。
工場の生産が落ちるからという理由で数百単位で派遣が切られた。
「長く働けますか?」私が派遣の担当に聞いたとき「長い人はもう5年くらい働いてるよ」と、私も沢山働いてこれからまともに過ごせるようにがんばっていこう。
そう希望を抱いて過ごしていたのに。
派遣が次に紹介したのは薄暗い地方のど田舎にある工場だった。
私は言った「家賃は気にしないからできるだけ水回りがきれいなところがいいんです」田舎で水回りがきれいなら新築になるとおもったんだ。
それがリフォームしただけの築30年の一階。物件を見せられた時に血の気が引いた。案の定上の騒音に悩まされ、イライラが募る毎日。坂道がつづく道を毎日毎日必死に自転車をこいで通勤した。
唯一の心やすめの喫煙も自分がきてから派遣先から苦情が増えて全面禁煙になったり。
毎日楽しく過ごしてたはずなのにここにきてから毎日、相方に愚痴しか話さなくなった。それがいちばん辛かった。
腹が立った担当と上の住人にささやかな仕返しをして関東の派遣会社にきた。
仕事先はすごくいいところで労働時間も人も素晴らしくて、今までで働いた中で屈指の職場だった。けど、寮がやっぱりここも最悪で、虫のことを含めたら以前よりもめちゃくちゃ環境が悪くなってしまった。
すごくいいタイミングで電話をもらって物の数日で雇い入れてくれた感謝もあった。
けど、本当に困って相談したのに、困って相談して身体も壊したのに、結局金にならなきゃ何の話も進めてもらえなかった。
そりゃそうだ。
慈善事業じゃない。
わかってる。
でもさ、それはこっちも同じなんだよ。
慈善活動で生きてるわけじゃない。天涯孤独で何も持たない私はなおのこと。
おまえがゴミ屋敷と一言で済ませたあの部屋は私の「城」なるはずだった瓦礫の残骸だったんだよ。おまえたちに見せつけてやりたかったんだよ。どんな生活してたか。
酷い有様だって思ったから、わざわざその余計な一言を言ったんだろう?
慈善事業でも善意のある人間でもないってわかってたから、はっきり言ってよかったよ。これでもまだ身を案じられたりでもしたら申し訳なくて謝りにいってただろう。
無駄な出費が増えずにすべて私の贅沢に使うことができた。
ありがとう。
ねえ、また他人を苦しめてしまったよ。
いつまで続くのかな。きっと生きてる限りそうなんだろう、私は。
質が悪いのはこれでいて私にも罪悪感は一応しっかりあるってこと。
裏切った直前までは「やってしまった、謝りたい気持ちはあるのに」と頭を抱えてうんうん唸ってる。けど、結局どいつもこいつも罵倒してきたり罵ったり、脅したり、必要以上の一言を付け加えて私に「あーやっぱり裏切っても大丈夫なやつらだった」と思わせるだけなんだ。
だからそう思うまではずっとドキドキしてる。
なんて言われるだろう、まさかこの期に及んでも心配してくれたり案じてくれたりするんだろうか・・・でも誰一人としてそんな奴はいなかった。
人生で裏切らないと誓ったのは相方と、中絶がきっかけで別れた恋人の二人だけだった私には。後者は私なんかより別の誰かと幸せになってほしくて結構ひどい振り方をしてしまったけど。本当にいい奴だった。
とても似てるんだよな。
相方は女性だし、元恋人は男だけど。性質が似てて、何よりこんな自分をちゃんと、というか盲目的じゃないかと思うほど大事に思ってくれてたとこも。
わたしは
それがあれば
どこだって生きていくよもう
一生そういう暖かい気持ちが手に入らない人もいる。
それに比べて自分は昔からしょうもなかったけど、家族じゃない人からちゃんと愛してもらえた。
そういう気持ちをただ大事に握りしめて静かに過ごしたかっただけ。
わたしは、
でももう静かに過ごしたいってことも私には贅沢なんだろう。
今まで裏切ってきた奴らからしたら。
だからね、お前らが一生できない生活をこれからは送ってやるんだ。
毎日おいしいもの食べて、毎日部屋が勝手に綺麗になってて快適に過ごせる。
少しだけ働いて平日お前らが必死に会社で仕事してる時間にビールを飲んで、ゲームする毎日。
そうそんな毎日に戻してくれてありがとう。
おまえらが私から平穏を奪うなら、私ももう慎ましい生活なんてしてやらねえよ。
もうゴミ屋敷はつくりません。
でもな、
ずーっと待機室にいたおばさんが忘れられない
あの年で風俗嬢かーって自分も10年後あっちの立場かもしれないって思うからやっぱり稼ぐだけ稼いで城建てたいな・・・w
Gmailの受信履歴で10年前に何してたか調べてみた
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
↑ちょうどいい題材があるのでお借りしよう
10年前っていうと2011年、私は20歳だった。そのころはこんな未来なんて一ミリも予想していなかっただろうし「自分の未来」のことを考えること自体一度もしたことなかった。はっきり断言できるのは中学の高校受験。親と先生に少しも希望を聞いてもらえずそれでも訴えた結果怒鳴られて頭が真っ白になったあの日、私の人生は終わったから。
本題に戻ると10年前、私はとあるデバッグ会社にアルバイト登録して勤務していた。
主にまだ店頭に並ぶ前のパチンコやスロットの不具合がないか調べるのが主な仕事内容だった。
時給もそこそこでシフトを自由に自分で組めるのが最高に働き心地がよく、なおかつ朝が苦手だった自分には夜勤専属でできるのも助かった。
デバッグ会社ということもあり、ゲームに携われるのではと期待して登録した人もなかなかいて休憩中喫煙所でゲーム好きの人と話ができるのが楽しかったりご飯に行けるほど仲良くなった人もできた。
真面目系クズだった自分が珍しく苦も無く働けた実に居心地のいい職場だった。
しかし無駄に真面目系な私はふと思ってしまう。
「あ、私ここにいたら駄目になるな」
これは完全に若さ故の過ちだった。あの時まだあそこでなあなあながらでも仕事を続けて入ればよかったと今でも思う。
仕事場は老若男女様々で、昼勤はわりと大学生なども多く楽しいバイト感覚の明るい人たちが多かったけど、夜勤になると一変言い方悪いが「どこへも行けない人たちの集まり」みたいな限界人間ばっかり目についた。
母親の差別主義をしっかり受け継いでしまった私は、「ここで仕事を続けてこんな風になりたくない」と思いシフトを入れるのをやめ自然登録解除。交友関係も切った。
しかし結果どうだろう?
よくなるどころか風俗にまでいくほどにまで堕落してしまった。
とここまで書いていて実は2012年のことだって気付いたので実際の10年前のメールを再度確認したらとんでもないメールが残っていた。
それは、私を佐川〇便に送り込みその給料を毎月1万円だけ残し全額引き抜いて自分達の生活費にしていた当時の義理の父親からの最後のメール。
そいつは佐〇上がりの「自称実業家」?で適当に金を持ったぼんぼんや金の持て余したやつをターゲットに資金を集めては潰すほぼ詐欺師まがいの男だった。そう言うのも私が見ていた限り耳にする大金が動かしていうるというわりに音沙汰がなく、ただただそのお金を食いつぶしてるのを横で見ていたし、母が唯一祖父母から相続した数百万も生活費と返済に潰されたと嘆いていた。
当時母はその数百万で自分が店をやれば儲けをだすからと言ったのを「俺の面子が立たねえだろうが!!」キレにキレ散らかされたらしい。
まあ、クレジットカードも持ってない自称実業家の男に夢見ちゃって騙された母も母で、一緒になって私を奴隷のごとくみじめな生活を強いたので同情する気にもならないね。
ここまでそいつの話をするのは、今見てもこのメールは私の核心をついた内容なのに変わりがないことが恐ろしいからだ。さすが詐欺師まがいなだけあって、こいつの本質を見抜く眼だけはきっとこれからも出会わないであろうレベルで。まだ20歳にしては世の中を舐め切りながらただ時間を消費する当時の自分にはいい意味でも悪い意味でも衝撃だったんだ。
10年前のものだというのにメールの全文を晒すことができないほどに私という人間をわかっていやがる。
メールを読みながらこいつを思い出すとどうしてもセットになって思い出すものがある。ワンチャンアフィついでになるかなとも思って探してきた↓
「20代に誰と出会うかで人生は決まる」
この本
そしてその義理の父親がニコニコしながら渡してきた言った
忘れもしない一文
まるで自分のことを指してるかのような満面の笑みが今でも忘れられず、チープなホラーゲームに出てくる化け物のように脳裏に焼き付いてる。
10年前だというのに作者もタイトルもはっきり覚えてるくらいに鮮烈な記憶。
「私はここで変わる運命なんだ、変わらなきゃ。」
そう思って努力するつもりでそいつの言う通りに佐〇に就職したわけだった。
しかし、朝の7時から晩の0時まで過酷な重労働。さばききれない客の時間指定。配送先は都会のど真ん中で配達先は全部企業やお店。時間が厳しいなか一日中走り回って何十キロの大荷物を一度に担ぎ何往復もさせられ配達が終われば集荷の荷物を延々とさばき
やっとの思いで帰れば茹でたパスタにめんつゆだけかけて食べる毎日。
ひもじくてひもじくて、センターに置かれたお金をいれてお菓子をたべるシステムの箱から盗み食いもしてた・・・(立派な犯罪)。作ってきたといって大好きな優しい先輩が差し入れに持ってきたパウンドケーキを恥を忍んで沢山食べさせてもらった。
「何も食べれないなんてかわいそうだから」と苦労の知らなそうな少し上の女の子に哀れみいっぱいの表情で牛丼をもらい、それを黙って食べるしかできなかった惨めさで数年食べれなくなったりもした。同い年の同期が毎日化粧をしてくる、配送ルートの過酷さの違い、化粧品を買える貧富の差。
最初の数か月はがむしゃらに働く気持ちよさを感じたこともあったが、それも過ぎれば布団に入ってただただ感情もなく涙が勝手に流れてくる毎日。
そして、ある日唐突に身体が動かなくなった。
今思えば鬱に入ってたんだろう。仕事にいかないとでも体が動かない。もうだめだ。
そこから終わってた人生がさらに堕ちた。
仕事を辞めることにしたとき、私は義理の父に謝罪のメールを送った。
今思えばあれ何を律義に謝る必要があったんだと思うが、ほぼ洗脳にかかっていたような毎日で許しをもらわなければと健気な思いと怖い思いをしたくない一心だったんだろう。
要約すると「会社を辞める要件」「手続きを踏まずにほぼ無断退職になってしまったためにツテにしていたあなたの兄弟にも迷惑をかけてしまった」「申し訳ない」それと、前日に母からお前のせいで私まで怒られてる、といったメールも来てたので「自分のせいで関係を悪化させてすみません」と送ってる
もともと自分でも忍耐力も根性も何一つないクズの煮凝りのようなやつだと自覚してた。適当に言い逃れしたり、理由つけてサボって生きていきたがる人間だって自分がいちばんよくわかってる。またやってしまったという気持ちもあった。
今でもそれは変わってない。だからなのか、何かの因果なのか今日このメールを見る羽目になるとは。
以下、ありがた~い詐欺師のメールを抜粋
とことん追い込まれるまで、
慰め合いなんてまっぴらごめんだっておもう
そういう可哀想な繋がりなんて求めてないんだよ。
自立した人間同士でまっとうな付き合いがしたいって思うのに。
寄りかかり合うんじゃなくてできることならお互い自分の足で立って手をつないでるくらいが理想なんだよね。
もちろんどんな状況下であっても愚痴を言ってはいけないなんて断じて思ってはならんと頭ではわかってても、実際自分は自分の力でどうにかして今ここにいる。
それを一緒だねなんて軽々しいにもほどがある
こっちは倒れたって誰も家族ももうおらんで一人で突っ走ってるんだから軽々しくそんなこと口にするなって頭にきてしまった。
一緒じゃないよ。
全然一緒じゃない。
生きるだけでお金かかるってのに住む場所も食べるものもあって、家族もいて男もいて犬もいてなにがどう一緒なん??
家族にこき使われてるって働いてて愚痴るならまだしもそれだけなのに文句言う意味がわからない。専業主婦で子育てしてる人とはわけが違うじゃん。
自分の子供じゃないけど心配だからって理由つけて自立してないだけとしかおもわんし、何かあったら・・・そればっかり。そんなんじゃ世の中のお父さんお母さん働けねえよな。
いかにももっともらしい言い訳なのが余計腹立つ。だってほんとに万が一があったらなんにも言えないもんね。あるかもわからんのに。
こっちはがんばって全部変えてきたんだよ。
それは全部おまえのおかげだよ。
でもそれとこれとは話が違う。わからないだろうけど。
自分がただ単に人嫌いで珍しくすんなり好きになれたから特別視してたけど君だって本当はなんもないから良かっただけの何でもない人なんだろうな。
もう何回こんなこと繰り返すんだろう。
いい加減自分で変える気がないなら自覚してつぐんでほしい。
してきた方なのかな。
自分に余裕がないとなにもわからなくなる。
でももう何度いいやって思ってしまうんだろう。
いい加減友達のひとりでも作れって話よな笑
それか趣味作らんとやな。
上のストーカーでもしようかな。
というか今までいろいろしてくれたお金とかもようは家族にもらってたんだろうか。
悲しくてききたくないなそんなこと。
家族間だろうと労働は労働で然るべき対価としてもらってるんだろうけどなんかな。何とも言えねえな。
家族で食べるだろうってわざわざホール2個送ったのを一人で食ったて言ってたのが、今になってボディブローとしてきいてるわ。
本当に家族を想って家にいるなら自分のプレゼントだけど分けたりせんのか・・・?せめてそんだけ心配してるって自分で言ったんだから世話してる家族の子供にくらい食わせてやれよ・・・。今更ながら恐ろしいやつだな。
たぶん本当に自分のことしか考えてないんだよね。
心配とか謝ったりとか感謝とかもろもろちゃんとできてる子だけど、それを口にする根本的なものが自分のためだから相手のことを本当にわかろうとしてなくて話がちぐはぐになる。
とりあえず謝っとこう。とりあえずありがとうって言っとこう。とりあえず心配しとこう。
何が厄介ってそれを本人はちゃんと考えて言ってるて思っちゃってる感じ。
こっちから言わせてもらえばわかんないのになんで謝れるんだよって話。
ありがとうとかは単純だから言っときゃいいと思うよ。
でもごめんは、何のために何をさして何に対してとかめちゃくちゃ複雑なの理解してなかったら謝られても響かない。まあこれは彼女だけじゃなくて多くの人ができないと思ってるんだけど。
一方的な愚痴はとりあえずここまでにして、とはいえしてもらったことや配慮が少なかった自分自身にも問題あったとしてどう話すかまた考えなきゃ。
自分が傲慢なのはわかっててもどうしてわかんないかなって結局憤ってしまう。
よくないな。
とりあえずイライラを吐いて冷静に話せるまでこうして自分を落ち着かせてから喋らないと。
いうてまた見当違いなこといわれて腹立てるんだろうけど。
は~~つっかえ
他人にあの痛い子って思い返されると思うとつらい
いい年こいて黒歴史をいまだに量産し続けてしまい恥ずかしくて死にそう。
いつまで経っても子供なんだよなあ。
小学生みたいなとこあって、そういう行動とか態度、言動をなぜかふと振り返ってしまうことがここの所続いてて仕事中にあ~~~~~~~~~~~って叫んでしまう。
そしてそういう痛い行動を重ねてくっていうね。
鏡をみると年をとったな、と改めて思う。造形が変わったり皺ができたってこともないんだけどなんか年季が見えるみたいな。年相応の心になりたい。
仕事中にブログ書きたいなって思うことは多々あるのに結局書かないで終わる毎日。相変わらずゲーム三昧なので暇あったらゲームしてしまう。こういうとこがいまだに心が小学生みたいな原因だったりするだろうか・・・本能のままに生きすぎかなとはつくづく思う。
その本能のままに仕事したくない、明日が無理、つらい、どうしてみんな頑張れるの、なんて言って自堕落になってホームレスを謳歌していた自分が今は特に何の苦痛もなく普通に仕事して日々生活しているという。
改めてなぜこの生活になれたのか自分でも不思議なので振り返ってみるべきかなと。
たまにアクセスがとても多い日がまれにあるってことはもしかしたら昔の自分の状態の人がどこかにいることなのかなって。どれだけつらいかわかってしまうし、もし少しでも助けになればってやっぱり思うので。
もちろん全然ただの通りすがりとかなら問題ないことなんだけど。
長ったらしく書いてもしかたないので完結に書くと「逃げる」のが一番大事なのではと思う。だってできないもんはできないんだから。
自分の一番辛かった時期の話をする。
なぜかわからないがどうしても仕事に行けなくなる、続かない、バックレる、でもお金稼がないといけないからまた別の仕事探すけど、どうせまた続けられない、もう仕事はできない。
じゃあ仕事に行ける気分の日だけ行けて一日で一週間分稼げるから風俗しよ。って感じだった。
一番最初の「なぜかわからないけど仕事に行けない」
この状態マジで死にたくなる。理由がわからないから自分が甘ったれてるんだ、がんばれない人間なんだ、ダメ人間なんだって自己嫌悪で吐きそうだし本当に死にたくて死にたくて仕方なくなる。
多くの人たちが普通にできることができないんだからそりゃそう思うわ。
でも必ずそれぞれの中に原因はあるはずで、自分の場合は主に「感情とお金を搾取」されていたこと。
お金を搾取されるのと同時に自分で考えることや自分の意志すらも一緒に奪いとられてた。自分自身がなぜこうなるかと考えることすら至れずに「ダメ人間」だとしか思えないし言われてたから、既に精神がボロボロになってるという事に気づかなかった。
お金の面では親が私に、感情面では私が親に甘えていたのかもしれない。「親といればとりあえず大丈夫」なんて気持ちがあったか定かではないが振り返るとそんな状態だったような・・・依存とはちょっと違う気がするがとにかくお互いがダメになってく親子関係だったと思う。
自立って言葉があるけれど、私は30に差し掛かってようやくそのスタートラインに立てた。
大事な思い出の物も、親も、家も全部捨てて私はホームレスになった。
前にも書いたかもしれないが、家を捨ててから一か月ほど人生で初めて快便になって毎日健康なうんちがもりもり出て感動にむせび泣いた、あれほど人生で解放感を味わうことは今後ないだろうな。解放感てうんちの話ではなく人生の話。
その後はちょいちょい書いてある通り自堕落生活なんだけども。
散々逃げ散らかして、やっと自分がどこにいるべきかようやく自分自身で考えて立ってるから今では普通に仕事行って生活できてるんだと思う。きっとあの頃の自分が今の自分をみたらびっくりして泡吹いて死ぬんじゃないだろうか。
それほどあの頃はこの「普通の生活」の難しさに気が狂いそうだったんだ。
今は今で別の悩みがたくさんあるけれど。
適度にさぼってずるしながら生きてる。それくらいでちょうどいいってわかったから。
いつかではなく近いうちに自分の話をまとめてみたい。
こういうブログ形式に残しておくのもいいけど。ゲームばっかしちゃうんだよなあw
自立の次は自制心がほしい。
働くくらいなら死にたかった理由
なかなか開くタイミングがなかった
つーのももう風俗嬢でもないしホームレスでもないから。
こんなご時世ではあるがホームレスで身寄りなし電話なし金なし身分証なしでも雇ってくれる会社がありましてね。
快適普通の人生活。
ホームレスになるきっかけはさ、働くぐらいなら死んだほうがマシだ、けど親は早く養えって言ってくるし兄弟は出ていくしあーもうだりい、私も逃げよう。
って家でてきたわけ。
最初はネットで知り合ったやつの家に転がり込んだけど手癖の悪さで数ヶ月で追い出された笑
仕事もする気なかったしね。迷惑かけたらいかんって一ミリも思わなかった。
だって私がしたかった仕事してんのに愚痴ばっかいってる甘ったれたカスだったし、親やら周りに恵まれた人間、多少搾取しても罰あたんねえだろって。
追い出されてからは元々親にすすめられてやってた風俗のみ。
すごくね子供にやればって言う親いる普通?w
結局やってる私も馬鹿なんだろうけど、知ってて言う言葉が「身体売ってんならもっと稼いで来い」だからねえ。
職場にたまに顔出して稼いだらネカフェに入り浸ってゲーム。
親から解放されて、なかなかというかかなり楽しい生活だった。けど長くは続かなくて、友達と通話できないストレスはもちろん騒音やセクハラ。もう最悪だった。
職場にネット環境あるのは知ってたからしばらく泊まり込みで働かせてもらえないか相談したらなんとかOKしてもらえてプチだけど脱ホームレスになった。
なんとかがんばって金貯めて家借りようなんておもってた矢先にコロナがきちゃって稼ぎが半減。
ありがたいことに客がこないことがないので稼ぎ0にはならんけど収入が減って、もっと早くに奮起するべきだったなあなんて思った。
そんなとき友人が最近都内のホテルが安いらしいって話をきいて調べると確かに激安。
待機室の床で寝るのに限界を感じていたから一日くらいふかふかのベッドで寝てみたいなと思ってすぐ予約してホテルはいったらこれが最高に快適だった。
そこからバカみたいな話だけど貯金使い果たすまでホテル生活を続けてしまう。
もうそっからはダメだった二度としたくない、もう風俗はできないって心が折れてしまった。
残り数万円、生活保護や自立支援なんかのサイトを調べまくってた。
そんなあるときにとあるサイトで身分証も電話もなくても仕事を紹介してるところをみつけてすぐにメールをおくった。
おかげで今はすっかり一般人だ。
不思議なことにあれだけ真面目に働くのが嫌だったはずが、そこまで苦痛を感じてないのに気づいた。
あの生活に戻りたくない、あんな仕事もうしたくないって気持ちはもちろんばかでかいんだけど働いていてもそれなりに自由なんだ。
当時、好きなことをやる意外のことに時間を取られたくない一秒たりともって躍起になってたのを覚えてるんだ。
でもいまはきちんと会社に行かなきゃって思うし、たまに行きたくないサボりたいなっておもうけど行くか~ってなんだかんだ出社してる。
昔なら多分とっくに無断欠勤して辞めてたはずだ。
死にたかったあの頃と違って家に母がいない。
仕事に行くのも休みになにするのも自由。
結局わたしは、あの人に自分の人生を消費されるのが耐えられなかったんだと思う。
小さい頃から諦める思い出ばかり覚えてる。
必死に貯めて買うはずだった塗り絵のためのおこずかい・・・やっと100円たまったところで取られた。
みんながもってた人気のゲーム、買ってあげるって急に言われて当日に恐る恐る聞けばそんなもんあるわけないでしょって怒鳴られた。わかってても期待しちゃうんだからそんなこと言わなきゃよかったじゃんね。
でも男と別れてから手のひら返すみたいに金を渡すようになった
毎月3千円も握らせたりゲーム機も一台ずつ買ってくれたり。彼女はなにがしたかったんだろう。
目先ばかりなのは親とそっくりなのかもと思う。
結局進学とかそんなこと全然考えてないし貯金もしてないから、私たちは好きな学校にもいけないし田舎で免許必須だというのにそれを取るお金すらなくて人から借りてた。
就職を蹴ってバイトしてたところに君のお母さんにお金を貸してる、返すように言ってくれなんて言われる始末、職場の人に「ファンの人?」なんて茶化されて鼻で笑ってしまった。
人の名義を借りてまで外車を買ったりする必要がどこにあったんだろう。
どこまでも見栄っぱりな母親だった。
自分がそっくりに育ってしまったからよくわかる。彼女は本当に嘘つきだ。平気で嘘をつくんだ。
あの頃はそんな余裕なかった。お前たちが言ってる車だって買ったことなんか一度もない、全部人から借りてただけだ。
お金を使う分だけ四六時中働けばいいだけ。それを実践できる彼女のそういう根性は本当にすごいなと尊敬できる。しかし、そのお金をすこしでも私たちの将来に投資してくれてればって思わずにはいられないじゃない。
だって私たち子供の人生は親次第だもの。
道は選ばせた、選んだのはお前たちだ。選択肢がひとつしかないのにどう選べばよかったんだろうか。
やっと普通の生活が出来るようになったけれど、いまだに生まれるべきじゃなかったという気持ちは消えない。
自分にいてほしい存在してほしいと願ってくれる人がいるけれど、辛い人生を振り返ってしまうとやはり死にたくなるもんだ。
子育ては親の勝手でこさえた義務だとは思うけど、育てられた子供には義務もなにもないでしょう。あるのは感謝の気持ちだけで、それが大きいか一ミリもないかなだけ。
わたしは感謝できない。
大事な時間をすべて母親に振り回されてきたから。
母親にお年玉からなにからお金を取られ続けてきたのも、思春期に義理の父親にボコボコにされたのも、そんな男にみっともなく泣きついてる姿をみたのも。
若い男にブランドもの買い与えたり高い家具や車買ってるのもちゃんと見てたよ。
産んだなら
責任とってよ
全部とは言わないから
せめて人生の半分くらい寄りかからせてくれてもよかったじゃないか
殺さない
つまり衣食住は当たり前の義務でしょう?
どうしてあんたは
あんたら親はそんな当たり前のことを恩着せがましく言えるんだ?
私の親だけじゃない。親のせいで同じようにしんどそうな子にあったことあるんだ。
命を生み出す意味を考えろよ
人の人生って重いんだよ
自分の所有物みたいに思ってるからそんな
軽んじていることにすら気づかないレベルで
子供に寄りかからないでくれ
じゃあなおかあさん