Gmailの受信履歴で10年前に何してたか調べてみた
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
↑ちょうどいい題材があるのでお借りしよう
10年前っていうと2011年、私は20歳だった。そのころはこんな未来なんて一ミリも予想していなかっただろうし「自分の未来」のことを考えること自体一度もしたことなかった。はっきり断言できるのは中学の高校受験。親と先生に少しも希望を聞いてもらえずそれでも訴えた結果怒鳴られて頭が真っ白になったあの日、私の人生は終わったから。
本題に戻ると10年前、私はとあるデバッグ会社にアルバイト登録して勤務していた。
主にまだ店頭に並ぶ前のパチンコやスロットの不具合がないか調べるのが主な仕事内容だった。
時給もそこそこでシフトを自由に自分で組めるのが最高に働き心地がよく、なおかつ朝が苦手だった自分には夜勤専属でできるのも助かった。
デバッグ会社ということもあり、ゲームに携われるのではと期待して登録した人もなかなかいて休憩中喫煙所でゲーム好きの人と話ができるのが楽しかったりご飯に行けるほど仲良くなった人もできた。
真面目系クズだった自分が珍しく苦も無く働けた実に居心地のいい職場だった。
しかし無駄に真面目系な私はふと思ってしまう。
「あ、私ここにいたら駄目になるな」
これは完全に若さ故の過ちだった。あの時まだあそこでなあなあながらでも仕事を続けて入ればよかったと今でも思う。
仕事場は老若男女様々で、昼勤はわりと大学生なども多く楽しいバイト感覚の明るい人たちが多かったけど、夜勤になると一変言い方悪いが「どこへも行けない人たちの集まり」みたいな限界人間ばっかり目についた。
母親の差別主義をしっかり受け継いでしまった私は、「ここで仕事を続けてこんな風になりたくない」と思いシフトを入れるのをやめ自然登録解除。交友関係も切った。
しかし結果どうだろう?
よくなるどころか風俗にまでいくほどにまで堕落してしまった。
とここまで書いていて実は2012年のことだって気付いたので実際の10年前のメールを再度確認したらとんでもないメールが残っていた。
それは、私を佐川〇便に送り込みその給料を毎月1万円だけ残し全額引き抜いて自分達の生活費にしていた当時の義理の父親からの最後のメール。
そいつは佐〇上がりの「自称実業家」?で適当に金を持ったぼんぼんや金の持て余したやつをターゲットに資金を集めては潰すほぼ詐欺師まがいの男だった。そう言うのも私が見ていた限り耳にする大金が動かしていうるというわりに音沙汰がなく、ただただそのお金を食いつぶしてるのを横で見ていたし、母が唯一祖父母から相続した数百万も生活費と返済に潰されたと嘆いていた。
当時母はその数百万で自分が店をやれば儲けをだすからと言ったのを「俺の面子が立たねえだろうが!!」キレにキレ散らかされたらしい。
まあ、クレジットカードも持ってない自称実業家の男に夢見ちゃって騙された母も母で、一緒になって私を奴隷のごとくみじめな生活を強いたので同情する気にもならないね。
ここまでそいつの話をするのは、今見てもこのメールは私の核心をついた内容なのに変わりがないことが恐ろしいからだ。さすが詐欺師まがいなだけあって、こいつの本質を見抜く眼だけはきっとこれからも出会わないであろうレベルで。まだ20歳にしては世の中を舐め切りながらただ時間を消費する当時の自分にはいい意味でも悪い意味でも衝撃だったんだ。
10年前のものだというのにメールの全文を晒すことができないほどに私という人間をわかっていやがる。
メールを読みながらこいつを思い出すとどうしてもセットになって思い出すものがある。ワンチャンアフィついでになるかなとも思って探してきた↓
「20代に誰と出会うかで人生は決まる」
この本
そしてその義理の父親がニコニコしながら渡してきた言った
忘れもしない一文
まるで自分のことを指してるかのような満面の笑みが今でも忘れられず、チープなホラーゲームに出てくる化け物のように脳裏に焼き付いてる。
10年前だというのに作者もタイトルもはっきり覚えてるくらいに鮮烈な記憶。
「私はここで変わる運命なんだ、変わらなきゃ。」
そう思って努力するつもりでそいつの言う通りに佐〇に就職したわけだった。
しかし、朝の7時から晩の0時まで過酷な重労働。さばききれない客の時間指定。配送先は都会のど真ん中で配達先は全部企業やお店。時間が厳しいなか一日中走り回って何十キロの大荷物を一度に担ぎ何往復もさせられ配達が終われば集荷の荷物を延々とさばき
やっとの思いで帰れば茹でたパスタにめんつゆだけかけて食べる毎日。
ひもじくてひもじくて、センターに置かれたお金をいれてお菓子をたべるシステムの箱から盗み食いもしてた・・・(立派な犯罪)。作ってきたといって大好きな優しい先輩が差し入れに持ってきたパウンドケーキを恥を忍んで沢山食べさせてもらった。
「何も食べれないなんてかわいそうだから」と苦労の知らなそうな少し上の女の子に哀れみいっぱいの表情で牛丼をもらい、それを黙って食べるしかできなかった惨めさで数年食べれなくなったりもした。同い年の同期が毎日化粧をしてくる、配送ルートの過酷さの違い、化粧品を買える貧富の差。
最初の数か月はがむしゃらに働く気持ちよさを感じたこともあったが、それも過ぎれば布団に入ってただただ感情もなく涙が勝手に流れてくる毎日。
そして、ある日唐突に身体が動かなくなった。
今思えば鬱に入ってたんだろう。仕事にいかないとでも体が動かない。もうだめだ。
そこから終わってた人生がさらに堕ちた。
仕事を辞めることにしたとき、私は義理の父に謝罪のメールを送った。
今思えばあれ何を律義に謝る必要があったんだと思うが、ほぼ洗脳にかかっていたような毎日で許しをもらわなければと健気な思いと怖い思いをしたくない一心だったんだろう。
要約すると「会社を辞める要件」「手続きを踏まずにほぼ無断退職になってしまったためにツテにしていたあなたの兄弟にも迷惑をかけてしまった」「申し訳ない」それと、前日に母からお前のせいで私まで怒られてる、といったメールも来てたので「自分のせいで関係を悪化させてすみません」と送ってる
もともと自分でも忍耐力も根性も何一つないクズの煮凝りのようなやつだと自覚してた。適当に言い逃れしたり、理由つけてサボって生きていきたがる人間だって自分がいちばんよくわかってる。またやってしまったという気持ちもあった。
今でもそれは変わってない。だからなのか、何かの因果なのか今日このメールを見る羽目になるとは。
以下、ありがた~い詐欺師のメールを抜粋
とことん追い込まれるまで、