悲しくて仕方ないのは昔から変わらない
私がこんな人生になってしまったのは一枚のぶどうの絵のせいかもしれない。
と、たまに思う事がある。
父方の祖父母の家に行った時のことだ家族親戚に絵を描く人間なんかいなかったように思うのに、なぜかある日画材道具一式と一枚のスケッチブックがあった。
なんとなく目新しいものに惹かれてページをめくるとぶどうの絵がひとつ描かれていた。
それが幼心になんとも印象的でそこから私は絵を描くということをするようになった気がする。
それを大人になってから家族に話してもやはりそんなのあったか?絵を描くのなんていないから夢じゃないかなんてよく言われた。
この思い出が事実、夢であって記憶から消えていたらどんなによかったろう。
小さい頃から自分の執着心に振り回されてきた。
自分より上手い人間が許せなくて、誰よりも上手な絵が描きたかった。
だから勉強するためにも絵が学べる私立に行きたかった。
親からも担任からも否定されて人生を諦めたのに、いまだに精神を振り回われる。
絵がかけなかったら、絵に興味がなかったら
どんなに幸せだったろう
楽しく描いていた時期に、憧れていた子と同じ漫画を好きになっていっしょに活動した時期があった。
その子は成績優秀で運動神経もよくて、シャトルランで最後まで残るレベル。それでいて吹奏楽部でピアノもドラムもやっててとにかくかっこよかった。
以前まで遠巻きに見てたそんな彼女と楽しく話ができて夢みたいだったしとても楽しい時間だった。
別々の学校に通いながらメールやたまに一緒になる電車も自分にはかけがえのない思い出ではある。
ある日、その子に誘われてイベントに行くことになった。
行くまではウキウキと喜んでいたけれど、その後の一生を考えたらあの時行かなければと思わずにはいられない。
緊張して何もできずただきょろきょろとしているうちにあっという間にイベントはおわり、彼女から「このあとアフターがあるんだけど行く?」と聞かれ、舞い上がって「うん!」と答えてしまったが、本当のところ彼女は私に帰って欲しかったのではなんて思う。
待ち合わせのファミレスに入ると一際奇抜な格好をしたお姉さんが目に入った。
ほかにも自分たちを含めて8人くらいいたけど印象はない。それほど。
自分は特に話すこともできずそれでも同じ趣味の人がいろいろ話してるのをただ聴いてるだけだった。
ふとしたとき奇抜なお姉さんが「そういえば前話してた○○ネタ描いたの」
私はすごい勢いで彼女とそのお姉さんをみたと思う。だってそのネタって彼女に私が話した内容だったからだ。
私の知らないところで、私のネタで、私より好きな誰かと盛り上がってたんだ。
一瞬でその事実に気づいた瞬間、胃の辺りが氷点下になったかと思った。血の気が引くとか凍るとかああいうことを言うんだろう。
彼女を見ても、気まずそうに私の視線に気づかないふりをしていただけだった。
そのあとは何も覚えてない。どうやって帰ったかもその後に彼女とどう別れたのかも。
たまに会う電車で私が彼女と笑い合うことは二度となくなった。
最後に話しかけられてもそっけなくしたのを覚えてる。
数年後の成人式では一緒にいた友人が話しかけるもんで、あたかもそんなこと忘れたように久しぶり!なんて笑いかけたけれど。
いまだにね、あのことがわすれられないんだよ。
あのせいで私は劣等感まみれになってしまった。
人の絵だってだいすきだったのに、わたしがうまくないと意味がないって何の価値もないってぐしゃぐしゃになるんだ。
自分より下手なやつみて安堵するばっかで上手い人見ると学ぼうとかそんなことより頼むから死んでくれって思ってしまう。
だいきらいだよ。
いまでも ちゃん。
だいっきらいだ。おまえのせいで。
なんてずっとひのせいにしてるね。
あほらしいってやめられない
いっそこんなの嫌いだってやめられたらいいのにかきたくてしかたなくなるし
でもその理由はたのしいからじゃなくて誰かに見て欲しいからくる承認欲求でしかない
あのときいかなければ楽しい気持ちのままかけたかな
わかんないか
ただあの電車の中で笑い合えるだけでよかった
あんな風に贔屓にしてる子がいるならひとりでいけばよかったじゃん
ひどいひとだねほんとに
いまごろきっと優秀で家柄もいいあなただから立派な人間になってるんでしょう
わたしが地べたをのたうちまわってることもしらずに
それでいい