孤独じゃないだけ幸せでも人はみんな孤独なんだと
ヤマシタトモコ先生の建国日記を読んだ
この先生の作品はとてもすきだ。BL作品からファンになったけれどこの人は「孤独」「個人の自由」に寄り添うような話を書く。
人はみんな孤独で、誰かといてもどう足掻いてもそれは変わらない
さみしくなるとさみしいってもがいてしまったりするけれど、仕方のないことだと心が少しだけ休まる。
一度手に入れた安息がどうしてもまた欲しくて、もがいてしまう愚かな人間なのでどうしても惹き込まれる。
先生の作品の中にHREという、いろんな女性の話を描いたオムニバスな本がある。
女性は多感であり感情的で男性からしたら理解できないだろうと、登場した男性キャラクターに対し彼女が「女って怖いって思った?」ときくとぽつり「愚かだなあ、」とつぶやくシーンがあった。
その話の終わりは「愚かであるがその愚かさを愛さずにはいられないんだ」って締め方をされていてHERの巻末にはピッタリの話だった。この作品もとてもすきだ。
建国日記は孤独を感じて孤独を愛せる作品だと思った。
理解し合えなくても寄り添うことはできるし、真に寂しさを拭えなくてもそれでもいいんだという気持ちになった。
絶賛孤独を感じている最中の私にはとても響いた。
いや、先生の作品はどれもすきなんだけども情弱なのでなかなか作品を読みきれていないのが悔しい。
私は登場している槙生と同じタイプの人間だった。
ひとりでないと生きていけない。ひとりなんて寂しいでしょっていうタイプの人間とは永遠にわかりあえない。
だから作中で家に他人が勝手にすごしてる槙生のつらさがすごいわかるし、電話に出るのがとても辛いのもわかる。この手の人間を描けるのはこの手のタイプじゃないとわからないのではってほどまんま自分のようだった。
今は少し違う自分になってしまったような気がするけれど。
小説家の槙生をみてふと自分も自分を貫いたらどんなに健やかでいられただろうかと思った。
朝の母親をみて親の「なんでも好きなことをしていい」なんて建前だというのを痛いほど知ってるので朝の思い悩む姿に涙が出た。
大人が言うことは、というより母親が言うことは絶対みたいに思うのは子育てというより洗脳に思える。困るし無理に決まってるでしょって母親とは言え一個人に断言されただけでいとも容易く絶望してしまった自分に今の自分がなにか言えたらどんなにいいかと思った。
こんなことをフィクションとはいえ言いたくはないが朝の両親がいたとしても健やかに育ったかもしれない、でもやっぱり親という枷がなくなったと実感した朝がこれからどう考えて生きていくのかと思うと楽しみであり、なんだかとても羨ましい気持ちがある。
とても好きな作品でした続きが楽しみです。
今とても一方的だが相方に対してわだかまりが再発してしまって、とても苦しい。
というのもその原因になった人間がまた自分に近づいてきたから当時の怒りを思い出して狂ったようにスマフォを叩いていた。
公に見えないようにひとり呟いていたけれど、相方はみたのだろうか。
見ていようが見ていまいが、フォローしてくれない限りわだかまりが消えることはない。普通に接して何もなかったように振舞っていたが、相方が寝静まったいま心中穏やかではない。
いつもだったらストレートに気持ちをぶつけるけれど、元凶の人間が彼女の友人でもあるのでとても言いにくいし不快にさせたくもないと踏みとどまってしまってる。
一緒になろうと決めた矢先にふたりでずっと楽しく遊んでたことにとても嫉妬してしまって、それからというもの相方には気持ちを伝えたが向こう方はなにもしらないわけである。
相方の誠意もわかったので気持ちも落ち着いて忘れるはずだったのに、今になってまた近づいてきたうえに相方も平気で遊びに誘うのでとても面白くない。
いやほんとにわがままだと重々承知してるけれどもどーーーーにも面白くない。
遊んでるのも人数の埋め合わせに近いと思っていても、結局目先の楽しいことを優先するタイプってわかってるので後の私の気持ちを考えたりしない無責任なところが相方のきらいなところ。
楽しくしてて欲しいのも本心だ。でも私のことは忘れないで欲しいって一度伝えた気がするんだけど。
頭悪いからすぐ忘れるのかな^^
めんどくさいよってさんざん言ってるのになんで何度もこういう気持ちにさせるんだろう。
はあ
つかれる
けどこれがなかったらなんの希望もないんだわたしには
それがとてもいや