わたしは味噌おにぎりがきらいだった
わたしにとってのひもじい象徴になっている味噌おにぎり
家に海苔を常備するような余裕はなかったように思う
夜おなかがすくと味噌おにぎりを母がつくっていた
夜ご飯を食べたあとにでも平気でそんなものを食うのだから肥えて当たり前だ
親の優劣は子供の体型にも現れるんじゃないかと思う
話がそれたがなんとなくそのせいで私はずっと味噌が嫌いだ
おにぎりは塩と海苔に限る
味噌おにぎりなんか空腹という調味料でもなければ食えたものじゃない
母が作るサンドイッチは好きだった
好きなものも確かにたくさんあったのに
ふと思い出すのは嫌いなものばかり
やはりわたしは一生彼女を憎んで過ごしてしまうんだろうなあ
馬鹿なひとだとおもった
大人になればなるほど親が尊敬できなくなり、果ては金もないのに子供産んで感情で自分たちを片親にし散々放任して飯だけ食わせてなにも教育をしなかったバカ親だと。
親に向かってなんてことをと言われるかもしれないが。
わたしは親に対し見切りをつけるのはとても大事なことだと思う、恩はないのか?っていわれてもこんな地獄に産み落としておいてろくに恵みを与えずおこがましいやつだなって開き直ってる。
だってじゃあ実際自分だったら?て考えてみて欲しい
まず第一に後先考えず子供なんて絶対に作らない
子供は一生金食う虫だしその子がいずれ大きくなって恩返ししてくれるかも博打だ
何より自分がそういうことをしてくれる子供を育てられるかにもよる
感情的な面で言うならば自分ひとりの信念覚悟からではなく、その子の立場になって親の元に限らず生涯をみても幸せの方が多かったと言える人生を歩ませてあげられる自信がない
子供はただ食わせればいい犬猫とは違うのだ
人は金がないと不幸であるのは明確だ
金がないと幸せになれないのではなく、金がないことによる個人の余裕のなさが不幸を招くといったほうがいいか。
人それぞれでどれだけお金があれば幸せかの度合いは違う。億とかの単位がないと幸せを感じない人もいれば1万でめちゃくちゃ幸せになる人もいる。
わたしがちょうど中学か高校にいってるとき母親はひとりの若い男にアクセサリーだのなんだのブランド物を貢いでたご飯なんかも手の込んだものをつくって届けにいってた。
一度だけ相手を見たことがあるがとくになんの印象ももたない若いだけの男だった。
あのお金があったら大学や私立にいけたわけでもないしその当時はへーこいつかとかそんなことしか考えてなかった
しかし大人になるとそんなくだらないことに金や時間を使った母親がばかすぎてどんどん尊敬どころか人としての人格に対し軽蔑をおぼえていった。
その性格のせいで彼女は三度も離婚したのだからほとほと救いようがないと思うのだ。
一度目のつまり私と弟の実の父親と離婚したあとに付き合った男はTシャツに小さい穴があいており、それを無邪気にわらった私たち兄弟に腹を立てたらしく母に「あんたたちがそんなこと言うから怒らせたじゃない」といわれたこともわすれない
んなことで怒る男と付き合って子供に怒るなよ低脳女
って思うよ普通に
私の依存の高さはきっと母親に似てるんだろう
弟と違いわたしは全てを劣勢遺伝したのでパッとしない顔つきも太りやすい体質も気が付くとそばの人間に依存してるところも
産み落とした上にひどい呪いまでかけておいてよくもまあ恩を売ったなんておもえるものだ
喧嘩したから嫌いなんて可愛いものではない
母親からいわれた子供も親も血の繋がった赤の他人て言葉を本当の意味で理解したわたしはなんて賢いんだろうか
親だからかわいそうとかも一ミリも思わずに
ああ、頭の悪い女と関係が断ててよかった
といまこころから自由を謳歌するのだ
だからわたしはこれからさき味噌おにぎりを食べることは一生ないし味噌を好きになることもきっとない